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亡き人をしのぶ心情ほど、人間的・宗教的な心の動きはありません。一体、人間とは一人では生きて在(あ)りえない存在なのです。意識する、しないにかかわらず、いろんな方々のおかげによって、はじめて生きてゆけるのです。人から愛され、また人を愛してこそ、人と人との関係が成り立ち、自分をふくめての人の社会が成り立っているわけです。これが仏教でいうところの「縁(えにし)」というものです。
だから愛する人や、身近な人を失うほど、人間にとって深刻な打撃はありません。"いつまでも、あなたと共に在(あ)れかし"の願いがくじかれてしまうのですから、嘆きは何にもまして深刻です。
しかし、そのときにその人は仏さまの世界にいきていくのだと受けとめることが信仰となります。亡き人をしのぶというのは、仏さまの大きな愛(慈悲(じひ))の世界に往った人を、いまいるかのように思い、永遠の(真実の)幸福を願うことです。それが亡き人の冥福(めいふく)を祈ることであり、追善供養(ついぜんくよう)も、その願いから行われます。
法事(ほうじ)ということも、仏教を弘め盛んにするための行事を意味するとともに、亡き人の命日(めいにち)に追善供養、追弔(ついちょう)法要を営むことをいうようになりました。だから法事は、仏法実践の一つの道です。亡き人をご縁として真実の教えである仏教に出遇う得がたい機会――それが法事だといえるでしょう。
但し、真宗では「追善供養」という考え方はありません。亡き人の遺徳をしのび、それを通して仏法を聞(聴)かせて頂くご縁とするのが基本的な法事の考え方です。
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